沈黙のマリア

第一話(0)

ススム | モクジ
 鐘が鳴る。
 女の悲鳴。
 水が肺いっぱいに溜まったような音がする。
 目が痛くなる光の洪水を起こす銀色の塔の中で、空からは無数の硝子片が舞ってきた。
 天窓が枠だけ残して割れた後、突き抜ける青い空を白い鳥が啼きながら飛んでいた。それがこの国で言う御使いの化身だと知ったのは後のことだ。
 純白の羽を落として、耳障りな声で啼く鳥は何を告げるつもりだったのだろう。
 鳥は三度啼いた。
 その声を聞くたびに、仲間は息絶えて倒れていったように思う。
 揃いの黒い装束に、黒塗りの仮面をつけたまま絶命した同志達。仮面の額には白く剣の紋様が描かれている。誇り高く強い戦士にだけ与えられた装束に身を包み、闘う間もなく皆死んだ。
 ここは手を出してはいけない、禁断の聖地なのだと誰かが訴えていたのを今更思い出して、悔恨の念に襲われた。そして少年は眩暈を感じる。
 硬く冷たく滑らかな床に膝をついて、心地よい死を味わう。まるで眠りにつくようだ。
 やはりここは誰も近付いてはならない場所だったのだ。
 ここでは死がこれほど優しく穏やかに訪れてしまうから、きっと誰もが死にたくなる。
 死んではいけない。
 だのに、嗚呼眠い。
 床へ顔をつけて完全に体が倒れ伏す。全身から力が抜けて、手からは剣が落ちた。誰かが傍へ来て、それを拾い上げたのが解かったが、誰なのかがわからなかった。ただ女のような気配がした。血の匂いも火の匂いもしない、母のような匂いがした。
「……よ御赦しを。未熟な復活に、心からお詫び申し上げます」
 やはり若い娘の声がして、その娘は少年の傍らに屈み込む。戦士の仮面を剥ぎ取られた。屈辱だと思うことも出来ず、ともし火が消えるように薄れていく意識で、己の身に起きることを他人事のように感じていた。
 眠たくて心地よい。娘の声が子守唄に聴こえる。
「少年よ。あなたがたった今犯した大罪に、罰を。永く、神と共にありなさい。神の愛を知り、あなたは罪の重さを知り、その胸は永劫引き裂かれ痛み続けることでしょう」
 冷たい指先がこめかみに触れたのを感じて、全ては闇へ消えた。
 今の娘の言葉の意味を、死ぬことだと受け取った。
 死ねてしまうのだ。人の命を食らって生き続けたこの体で、こんなにも簡単に死ねるのだ。
 痛みも苦しみもなく、喜びも悲しみもなかった。
 何もない。真暗だ。
 これですべておわり。

「ひかり あれ」とだれかがいった

 鳥が三度啼いて、壊れた天窓から日光は眩しく降り注いだ。
 水が抜けていく音がする。
 女の悲鳴は何処かへ吸い込まれるようにして消えた。
 目が覚めた。
 目の前に、少年を見下すようにして、まだ若い娘が立っていた。
 紺碧に染まった装束を纏い、波の如く光りうねる黒い髪を風になびかせ、穏やかな海を思わせる青の眸でこちらを見ている。
 この娘を知っていた。少年は思わず息を呑んだ。
 喉がからからに渇いていて、上手く声がでなかったが、それでも声を振り絞って彼女を呼んだ。「……ら」
 同志を皆殺しにした憎き女に出来ることは、それだけだった。
「……預言者、サラ……!」
 娘は否定も肯定もしなかったが、鳥が、啼いた。
 嘲るように、呪うように、少年に向かって御使いの化身とやらが、高らかに啼いた。
ススム | モクジ
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