人形工場

書架




 波斯ペルシャの話では、空の基盤は青玉サファイアで出来ていて、空はその色を映しているから青いのだと言う。蒼穹を見上げて、学徒サソリはふとそんな伝説を思い出した。
 だがこのクニに棲む蠍にとっては、空はそんな幻想的且つ神秘的な存在では決してない。盛夏の穹窿はどうしたって、蠍の魂の濁世脱却を阻害するかのように頭上に伸し掛かってくる、悪意有る掩蓋のようにしか見えなかった。その高慢な空の青さに目眩を感じて、蠍は空と、目に刺さる純白の積乱雲から目を反らした。
 転じた視線の先の路上は、膨大な熱の為に陽炎を立ち上らせていた。うわんうわんと鳴り響く蝉時雨さえ一欠片の清涼も感じさせてはくれない。今夏は激烈なる猛暑だ。茹だる暑さが蠍に溜め息を吐かせる。その蠍の脇を二匹、鬼蜻蛉がやけに涼しげに抜けていった。


 蠍は暑い陽射しの中、工場から一番近い雑貨屋兼駄菓子屋に向かった。店先に汚れた冷却箱やら空箱が置かれ、鈍色に光る自転車が瓦落多の様に放り出されている。古くて薄汚れた店だが、これ以外の店に行くには山を越えて半日掛けて町へ出るしかない。どうせ大した買い物もしないのでこの店に不便を感じたこともなかった。大きな買い物ならば備品として軍に請求すれば済むのだから、蠍がいつもこの店で購入するのは文房具か駄菓子位の物だった。今日も僅かな硬貨を握り締めて、蠍は店を覗く。
 ちりん、と軒先に下げられた風鈴の音がした。売り子の親爺は曹達硝子を一枚隔てた店の奥の座敷に座って、団扇を扇ぎながら国営放送の野球中継を聴いていた。
「小父さん。曹達水二本頂戴」
 蠍が声を掛けると、親爺はうぁとか、おわぁとか言う奇妙な生返事を寄越しておいて、暫く腰も上げずに野球中継に集中していた。親爺の野球好きは毎度の事なので放っておいて、蠍は店先の屋根の下に入って陽射しを防いで親爺を待った。曹達硝子を震撼させる位の大音量で、野球中継が蠍の耳にも飛び込んできた。
 硬球を叩く金属音と、沸き上がる歓声。それに合わせて親爺も立ち上がり、見えない球場に向かって叫んだ。
 「走れ、走れ月雨つきさめ!! ……あぁ、駄目だ駄目だ……」
 すぐに沈んだ観客の声と一緒になって親爺ががっくりと項垂れた。親爺は団扇を畳に放り出すとかぶりを振りながら硝子を開けて店へ出てきた。
「月雨はどうも駄目だなぁ……。若い所為か周りが見えてないと言うか……」
 何事かぶつぶつと愚痴りながら親爺は下駄を突っ掛けて、冷却箱から曹達水の壜を二本取り出した。蠍は手にしていた八銭華硬貨を親爺の掌に落とし、それと引き換えに壜を受け取った。壜はひんやりとしていて蠍の手に心地良い。頬に壜を押し当てながら、蠍は親爺が釣銭を出すのを待った。
 不意に飛行機の爆音が聞こえた。蠍は再び蒼穹を見上げる。演習中の軍の戦闘飛行機が太陽光を鈍く反射させながら上空を翻っていた。蠍は目を眇めた。
 「毎日聴いてるとうんざりするような音だ」
 親爺が冷却箱から釣銭箱を取り出してぼそりとそう言った。
「早く戦争なんて終わらせて欲しいもんだ。空襲の時は野球が潰れちまうんだから」
 親爺は皺に埋もれた目玉をぎょろりと剥いて戦闘機を睨み上げた。蠍は返事をしないで釣銭を受け取った。硬貨も握り締めるとひんやりと冷えていて心地良かった。蠍は親爺に大きく一礼して、猛暑から逃げ出すように、工場目掛けて一目散に駆け出した。

 蠍が工場に戻ると、蠍と同じく一学徒の孚に仰向けに寝転がっていた。
「たまご……人形は仕上がったのか?」
 たまごの横に腰を下ろして、蠍は彼に曹達水の壜を差し出す。孚は微笑んで起き上がった。
「ああ。今迄の中で最高傑作だ」
 言って彼が自慢げに指差した先には、一体の人魚の剥製がある。大きさは二尺程度で、剥製と言うよりか木乃伊ミイラ。更にそれよりも、干物に近い代物だった。人魚の肌は乾燥し切った土気色で、吸い付くように骨にぴったり張り付いている。肉が落ちてしまっているので性の判別は不可能な人魚だった。
 起き上がった孚は眼鏡を外して顔の汗を袖で拭いながら言った。
 「今日は特別、上は人の児、下は鮫の鰭を繋げた。糸は使わないで鉄棒を軸にして繋げたから、従来の幻獣の様に接合部の縫目からばれるようなことはない。こいつなら、もしも欧羅巴エウロパの学者に見せたって気付かれないぜ」
 満足そうに言って、孚は曹達水を呷る。
 蠍は贋造人魚の目前に来てそれをじっと見た。孚による製作過程を見ていた蠍の目にもよもやこれが擬物とは思えない。それ程至妙に作られていた。
 「たまご、凄いよ。あんた天才だ」
 手放しに誉めると、孚は満更でもなさそうに、にいと笑った。


 夏休みを利用して学徒蠍と孚が勤めているここは、人形工場だ。郊外のうらぶれた場所でせせこましく贋の幻獣剥製を製造しては、それを本物と偽り方々に売り付けている。けちで堕落した商売ではあるが、しかし存外需要は高い。戦争にばかり夢中な国内で幻獣が売れることはないが、異境の下手物好きが高額で買い取ってくれるお陰で、人形工場は中々に潤っている。
 特に蠍と孚が得意とする贋造人魚は、その完成度の高さから、最も需要が高い人気商品だった。欧羅巴の好事家共による人魚狂時代マーメイドクレイズは、かの生物学者、輪廻リンネが人魚を否定した事によって終息したが、しかし一部の人魚崇拝者達マーメイドクレイズには未だに人魚は絶大なる指示を得ているらしい。
 干上がった人魚を前に麗しの迦陵頻伽サイレンの夢を馳せる連中の気持ちは、蠍達にはさっぱりだが、需要があるならば嘘でも何でも人魚を製作せねばならない。斯くて蠍と孚は連日、猿やら人の子供やらの上半身と鮫や鮭の鰭とを縫い合わせる作業を勤行としていた。


 結局孚が仕上げた人魚が、本日蠍と孚に割り当てられていた人形製作の数を満たしてくれていたので、蠍と孚はそのまま長い休憩をとった。後は出荷の時間まで寛げる。
「外に出よう。この中、蒸し暑い」
 止まらない汗を繰り返し拭いながら孚がそう言うので、彼と一緒に蠍も少しでも風のある屋上へ出た。僅かな貯水瓶の陰に入って、蠍と孚は肩を並べて曹達水を呑んだ。
 蠍は片膝を抱え込んで空をじいっと見詰めた後、ぼそりと孚に尋ねた。
「そう言えば、人間の子供なんてよく手に入ったな」
 孚は蠍の方を見ないで答えた。
「あぁ……売られてきたんだ。飢死したのを遺体業者が買い取って持ってきた」
 孚の返答に、蠍は静かに頷いた。
 蠍はゆっくりと曹達水を一口呑んだ。弾ける炭酸瓦斯が喉、食道そして胃壁に爛れそうな衝撃でぶつかってくる。いつもは大好きな甘ったるい人工甘味料が、今日は少し胃に重かった。僅かに不快な気分になって、蠍はちょっとだけ眉を顰めた。
 蠍は口にこそ出さないが、人魚に使われた子供を微かに不憫に思った。蔑視している訳ではない。ただ彼か彼女かを、運がなかったなと思った。
 恐らくこの人魚と蠍の間には明確な差異はない。今でこそ立場が違うだけで、この戦渦の中ではもしかしたら斯くの如く人魚にされていたのは蠍の方だったかもしれない。ただ何の巡り合せか、今の蠍は生きていくのに必要な路銀を稼ぐ為にこの人形工場で働くことが出来ていた。職を得て蠍は飢えることがない、だから飢死を免れた。人魚は飢えて死んだ。ただ二三条件が違っただけだ。それを思えば蠍は子供の為に涙を流して大袈裟に哀れんでやる気になれないのだった。
 蠍はまた一口曹達を口に運んだ。まだ少しずしりとした重みが感ぜられる。だがどうせ明日にはまた曹達水は美味しくなるだろう。
 蠍はこの人形工場で、自分と小差のない遺骸達を加工しては人形人魚を作っている。それは蠍が死なない為だが、とても正義に乗っ取った行為とは思えない。蠍自身理解している。けれど現状これしか生きていく術がないのだから、蠍は人形製作を止める気はない。
 このクニでさえ国家を動員して世界と戦争を繰り広げている。それは戦勝によってもたらされるこのクニの利益の為で、延いてはお前達の幸福の為なのだと国民を唆して、殺し合いに参加させている。これもとても正しいとは思えない。所詮今の時代、クニが口にする最大幸福は新興市民階級の為の思想形態にしか過ぎないのは誰もが解かっている筈なのに、それでもまるでクニ中が偏執病パラノイアの様に、末端階級の者達までが戦火にその身を投じようとする。それは結局クニ中の人間が、階級に従う以外に生活の術を知らないからだ。だからこのクニは戦争を止めようとはしない。階級に縛られる国家と言うのは実際愚直なものだった。それは蠍自身も同様である。そうして思考を巡らせていけば、詰まる処は国家は残酷なもので、社会、自然の摂理、生きること自体がそもそも残酷だと言う事だった。己が生き延びる為に他の死者を冒涜する、それが残酷なのは蠍が生きているからなのである。
 蠍は思う。この誇大妄想に取り憑かれたクニは、甘えて生きていけるものではないのだし、蠍は自らが生きていきたいのならば偽善を吐くのも好きじゃない。口に出して、人形にされる命の名残りが気の毒だと叫んでクニを慷慨した処で、生きていく為の人形製作を止める気も、またその命らの身代わりになってやる気も蠍にはないのだから。
 蠍は覚悟して曹達水を呷った。そろそろ温くなり出した中身を飲み干して、蠍は立ち上がって大きく伸びをする。
 考えればこの工場の中には、そこかしこに堆く砒素漬けの死体達が箱に詰められて置かれている。蠍はこの人形工場をまるで墓場の様だと感じた。日毎蠍に酷似した遺体の運ばれる、ここは蠍達の塋域はかばだった。
 蠍は空を見上げた。相変わらず突き抜ける夏の蒼穹が、蠍の心を見抜いたかの様に蠍の頭上に覆い被さる。
 この自然のままに残酷で不条理なクニから、抜け出したいと思わない訳ではない。けれど頭上の蒼穹はそれを阻んでいるし、蠍自身、逃げても何処にも行く当てはなかった。蠍もまたクニ縛られて愚直に終わっている一学徒に過ぎない。
「もう戻るかぁ」
 蠍が言い、孚が気怠そうに諾意の声を挙げた。蠍は孚を振り返る。目の前を、何者にも捕われない鬼蜻蛉がまたぞろ涼しげに抜けていく。
 蠍は大仰に溜め息を吐いた。


 
〔人形工場〕終



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