天国まで透けて見えそうな青い空

「空と同じ色の羽」 書架



 急に倒れた桜凪さくらなぎは、そのまま意識を取り戻さなかった。病室の外へ追い出された斑渕まだらぶち寳河たからがわは廊下でずっと待っていた。寳河は間が持たない様子で、何度も不安そうに斑渕に声を掛けてきた。
「ねぇ斑渕。桜凪はどのくらい具合が悪いの?」
 斑渕は眉を顰めて、暫く悩んむように考えていた。寳河は彼の服の袖を引っ張って、重ねて訊ねる。
「ねぇ」
「…………」
「ねぇったら!」
「……前に」
 斑渕は心配そうに桜凪の病室のドアを見詰めて、狼狽えた声で答えを出した。
「芦谷先生に忠告されたんだ。桜凪は夏になったら手術を受けるから、今は体力をつけないといけないんだって」
「……手術?」
 寳河は泣きそうな顔になる。彼は怯えたように、両手で斑渕に縋り付いた。
「手術って何の?」
「……難しくて解んない」
「斑渕」
「名前何だったかな……。心臓に穴が開いてて、動脈血と静脈血が混じってるとか何とか……」
 斑渕は芦屋から聞いた話を手短に話す。
 寳河はかぶりを振った。
「それ、治るの?」
「解んねぇよ……」
 斑渕も困ったように首を振って、二人で途方に暮れたように立ち尽くした。


 だが後日、二人は解からなかった箇所に関して、当の桜凪から講義を受けた。
「悪かったな、騒ぎ起こして。でもああ言うのはよくやるんだ」
 そう言う桜凪は、相変わらず青白い顔でベッドにいる。病室を訪れた斑渕と寳河は、何とも言えずに顔を見合わせた。桜凪は片目を眇めて命令した。
「突っ立ってないで入って座れよ。斑渕は本、寄越せ」
 今日も斑渕は相変わらず大量の本を腹に抱え込んでいる。彼はぞんざいな桜凪の口調に流石にムッとした様で、心配そうな表情を取り去って、いささか乱暴に桜凪のベッドに本の山を投げ入れる。どさりと重たい音がしてベッドが揺れた。本はハードカバーの辞書クラスの物ばかりで、全部学校の図書室の印があった。
 桜凪はベッドの揺れが収まってから、本の山を撫でてにこりと微笑んだ。
「ありがとう。久し振りに本が読める」
 彼は幸せそうに新しく届いた本を一冊ずるずると手元に引き寄せた。彼のその表情に、斑渕は毒気を抜かれて怒るのを止めた。彼はベッドの横にある室内にひとつだけのスチール椅子に腰掛け、寳河はベッドの端に座った。
 桜凪は本の表紙を捲りながら上機嫌で、明るい声で斑渕に訊ねた。
「……ところでさ。前も疑問に思ったんだけど、どうやってこんなに借りてこられる? あそこ、ひとり五冊が限界だろ」
「俺様に不可能はねぇんだよ」
 胸を反らして斑渕が言う。寳河が彼を示して言った。
「この人、図書委員を脅かして借るんだよ。図書委員が可哀想」
 寳河の台詞に、その情景がすぐに思い浮かんだので、桜凪はくすりと笑った。
「それは今日の図書委員に気の毒だったね……。でもお陰で退屈しないで済む」
 彼は顎で枕元に積んであった読破済みの本の山を示した。
「明日はこれを返して、また新しいのを借りてきてくれよ」
「明日!? 来週じゃなくて? これだけでもまだ足りねぇのか?」
「全然。このくらいなら、一日あれば読める」
「嘘だろ……」
 うんざりしたように呟いて、斑渕は口の端を歪めた。
「もっとじっくり読め! 第一何だって俺が毎日アンタの為に本抱えて病院と学校を行ったり来たりしなくちゃなんねぇんだよ」
「お前が力持ちだから。寳河じゃこんな本、一冊だって持てないだろ」
 彼の言葉は取り敢えず的確な答えなようだが実はそうでもない。
 すでに斑渕が彼に貢献しなければならない理由など考えもしない桜凪に、斑渕は大仰に溜め息をついてみせたが、桜凪は気にも止めなかった。二人の様子に寳河は思わず噴き出した。斑渕が彼をじろりと睨む。
「何だよ」
「別に……。確かに僕じゃ、こんな重い本は持ってこれないね……。でもね、今日は僕も一冊だけ本を持ってきたんだよ。ほら、こないだ言った絵本」
 寳河が鞄から取り出したのは、薄っぺらな絵本だった。斑渕が馬鹿にしたように「絵本かよ」と笑った。寳河は絵本を桜凪に渡しながら、むっとしたように斑渕に言った。
「絵本を馬鹿にしちゃいけないよ。下手な小説より余っ程ためになるんだ」
 寳河が斑渕をたしなめている間に、桜凪はその絵本の表紙を見た。タイトルは『天使になった華の話』。奇麗な青空と黄色い華の絵が表紙を飾っていた。
 桜凪は早速読み始めた。斑渕がすぐ横で寳河に本の内容の説明を求めていたが、一度本に集中し出せば桜凪の意識は本以外何ひとつ受け付けない。桜凪は黙って本を読んだ。耳元で同時進行で内容を語る寳河の声は、右から左へと滑っていく。
「この絵本は、毎日空を見上げて咲いている華が主人公なんだ…。



 華は空の上に神様がいるのを知っていて、それで毎日神様の方を向いて咲くようにしていた。神様の心が少しでも和むようにって、どんな時でも真っ直ぐ空を向いて咲いていた。風の強い日も、雨の日も、枯れてしまいそうなくらい陽射しが強い日でも。
 でもそんな華に対して、他の草花や虫たちはこう言って嘲笑うんだ。『馬鹿だなぁ。神様なんていないのに。どんなに見上げたって空は空じゃないか。雨の日も風の日もお日様が照り付ける日も空を見上げ続けたら辛いだけだろう。きっとそのうち枯れてしまうよ』華はそれを否定する。『神様はいるよ。神様はいつだって、僕らが仕合せに暮らせるように心を配ってくれてるんだ。いつでも神様はあのお空から僕らを見ているんだよ』草花や虫はまた笑う。『いやしないったら。いるのならどうして君はそんなに辛い思いをしているの。神様がいるのなら、どうして君は仕合せじゃないの』『僕は仕合せだよ。だって神様のために咲けるから。だから苦しいことなんて何もない。僕は仕合せ。だからこうして神様に恩返しをしているんだ』
 そうしてまた華は咲き続ける。秋が来て冬になって、他の草花や虫たちが眠ってしまっても、華だけは空を見上げて咲き続けた。けれど春を目前にして、華には枯れる時が来てしまうんだ。
 春になって草花や虫が目覚めたとき、華の姿は何処にもなかった。みんなはいなくなった華を笑った。『あの華はやっぱり枯れてしまったよ。だから神様なんていないんだって言ったのにね。神様を信じて、あんなに苦しんで枯れてしまった』
 だけど彼らは気が付いていなかった。華は空の上の天国にいたのに、彼らは空を見上げようとはしなかったから、知らなかった。華は、突き抜けそうに青い青い空の上にある天国で、神様の傍で天使になって咲き続けていた。華は空からみんなに呼び掛けた。『神様はいるよ。僕はこれからずっと神様の傍で咲いていられるんだよ。僕、仕合わせだよ』でもみんなは結局気が付かずに、また次の冬が来たらみんな寝てしまった。ただ天使になった華だけは、もう冬が来て枯れることもなく、雨風や強い陽射しに耐えることもなく、日々仕合わせに神様の傍で咲き続けた……と。



 そう言うお話なの。どう? いい話でしょ?」
 しかし斑渕は面白くなさそうにあくびをして、寳河に脇腹にチョップを食らった。
 桜凪は絵本を閉じて、裏表紙を見た。青い空と羽を生やした華の絵が描いてあった。桜凪は青い空の絵に触れた。
「うん。きれいな話だね」
「宗教っぽいじゃん」
 寳河にヘッドロックを掛けると言う仕返しをしながら、斑渕が刺々しく言う。
「殉教万歳、みたいな。神様が魂 搾取してんじゃねーの」
「何で打ち壊しなこと言うかなぁ、この口は!」
「痛い痛い痛い」
 視界の端でじゃれ合う二人を見て小さく噴き出しながら、桜凪は絵本を本の山の上に置いた。それからベッドの隣にある窓から外を眺めた。空を見上げると、空は絵本の通り、突き抜けそうなくらい青かった。
 桜凪は窓から視線を外して、寳河の頬を軽く抓って仕返ししている斑渕を見た。
 彼の背中から、空と同じ色をした大きな羽が生えていた。寳河には、とても小さくて純白な羽が見える。
 桜凪は溜め息をついた。寳河と斑渕が同時に彼を振り返った。
「どうかした?」
「ん……」
 心配そうに顔を寄せてきた寳河を見て、桜凪は目を眇める。
「何でもないよ」
「疲れてんのか? 帰ろうか」
「違う……帰らなくていい」
 斑渕が気遣うようにそう言ったが、桜凪は慌てて首を左右に振った。斑渕はそれでも眉を顰て桜凪の顔を見た。彼は桜凪の傍らの椅子からすでに立ち上がりかけていた。彼は桜凪に平然と言い放った。
「気を遣うなよ。また明日来るから」
「止めろ、違うったら!」
 桜凪は声を荒げて、斑渕の腕を両手でしっかりと掴む。斑渕は驚いた風に桜凪を見た。彼は鬼気迫る表情で、命綱のように必死に斑渕にしがみついている。
 斑渕も寳河も、彼のその様子に驚いて口を噤む。桜凪は二人の様子から自分の行動に気が付いてはっとして、その途端、乱暴に斑渕の手を捨てた。
「おいコラ……」
「僕がお前らになんか気を遣うもんか。違うよ、退屈だから帰るなって言うんだ。本だけじゃすぐ終わっちゃう」
「アンタ何様だい」
 呆れたように斑渕が呟く。寳河は元から呆っとしているので、口を挟む余地もなくうろうろしている。だが取り敢えず斑渕は椅子に座り直したので、それを見て寳河もベッドから動く気はなさそうだった。桜凪は安堵して、少し恥ずかしそうに俯いた。
 斑渕が椅子にどっしり腰掛けておいて、はっきりと言った。
「別に居ていいなら居させてもらうけどな。カラダが辛くなったらちゃんと言えよ。芦屋先生から、お前に無駄な体力使わせんなって言われてんだから」
「あのお節介……」
 斑渕の宣言に、桜凪は額を押さえて溜め息を漏らす。斑渕はむっとしたように彼を見た。
「お節介って何だよ……。医者の義務みたいなもんだろ」
「お節介だよ……。初対面のお前にそんなこと言って。お前それ聞いて警戒しただろ?」
 桜凪は諦めたように言う。斑渕はちょっと考えてから答えた。
「まぁ……な。少しは」
「だろ……。止めてくれ、どうせ医者の言うことは大袈裟なんだ。気なんて遣われると、かえってこっちが気疲れするんだよ。溜め息ついたくらいで壊れ物みたいに扱われるんじゃ、くしゃみしたら集中治療室ICU送りか?」
 桜凪は肩を竦めて冗談めかして言うが、斑渕も寳河もいまいち笑い切れない。 寳河が恐る恐る訊ねた。
「でもさ、安静にしてなくちゃいけないんでしょ? 僕らとはしゃいだら良くないんじゃない?」
「はしゃぐって言っても……室内じゃ話してるくらいだろ。そりゃ卓球でもやれば倒れるだろうけど? 平気だよ」
 桜凪がなるべく気楽に言う。斑渕が会話に乗った。
「室内ゲートボールは? 爺婆のスポーツは体力いらねぇぞ」
「ルール知らない」
「桜凪はどんな病気なの?」
 馬鹿げた会話には関わらず、寳河が真剣な表情で桜凪に訊ねた。桜凪は口を開いて、それから一瞬ちらりと斑渕を見た。
「芦屋先生から聞かなかったの?」
 斑渕が答える。
「聞いたけど難しかったんだよ。こないだは忙しくて答えてくれなかった」
「そうか……。ええとね」
 桜凪は二人の顔を交互に見て話し出した。
「僕は心臓に疾患があるんだ。心室中隔欠損って言う。心室って左右に分かれてるだろ? それを分けてる壁を中隔壁って言うんだけど、そこに生まれ付き穴が開いちゃってるんだ。左右の心室が繋がってるから動脈血と静脈血が混じって、体の中に酸素が足りなくなるんだ。それでよく呼吸困難を起こすから、激しい運動なんかが出来ない。そう言う病気」
 桜凪は自分の袖を捲って腕を二人に見せた。白くて細い手だった。
「運動は出来ないし、万一のことを考えると遠くに出掛けることも出来ないし、それで学校にも行ってないんだ。折角合格したのにさ。もうずっと病院から外には出てない。動けないから体力は全然つかないし、悪循環だよ。血液と一緒」
 桜凪は袖を戻した。斑渕が言った。
「……夏に手術するって聞いたけど、それは?」
「ああ、それも聞いたの……。そう、夏になったら手術する……と言うか」
 桜凪はこめかみの辺りを指先で擦りながら、難しそうに言う。
「正確には夏の始め、かな。猛暑になる前に手術するんだ。夏場になると僕の体力が一気に落ち込むから。それが最後の望みって言うところ」
 彼の言葉に、斑渕と寳河がぎょっとしたように目を見張る。桜凪は二人の視線を避けて、空を見上げて言った。
「僕はこれでも今、人生の中で一番体力がある時なんだよ。今より小さい頃はもう本当に貧弱でさ。自分で呼吸なんかも出来なかったくらいだ。でも今はこうして普通に喋れるくらいに回復してるし、会話の間も体力が持つようになった。だから先生と話して、体力がいっぱいある今の内に手術をして、心臓の穴を塞いでしまおうって決めたんだ。それもなるべくぎりぎりまで体力温存しておこうとして、夏まで待ってる」
「すごく難しい手術なの?」
 寳河はまた不安そうに訊ねた。まるで自分が手術を受けるような顔だ。だが桜凪は首を左右に振った。
「手術自体はそんなには難しくないみたい。問題は手術の間、僕の体力が持つかってこと」
「…………」
 寳河は斑渕と顔を見合わせる。桜凪は二人の方を向いて、肩を竦めた。
「だから気にするなって。なるようになるよ。最近は具合も良かったんだ」
 それでも桜凪は疲れたようにクッション代わりの枕にもたれ掛かる。彼は急にくたりとして、目を閉じてしまった。
「おい……っ」
 斑渕が思わず立ち上がって、桜凪の傍に立って彼を上から覗き込んだ。寳河も一緒に顔を近付ける。だが桜凪は目を閉じたまま、含み笑いをする。斑渕は軽く舌打ちし、寳河は安堵の息を吐いた。
「脅かすな……」
「悪い」
 桜凪はくすくす笑いながら、そっと目を開けた。
「でも何か……楽しい」
「人が悪いよ」
 寳河が桜凪の頬をつついた。桜凪は楽しそうに笑いながら顔を背ける。
「悪かったって。久し振りなんだもん、側で心配してくれる人って。看護婦はナースコールで呼ばないといけないから、いたずらすると怒られるし」
「いたずらかい……」
 斑渕が桜凪の額を叩く。
「家族でも脅かせよ。流石に毎日は見舞いに来ないのか?」
「脅かせる兄弟はいないし、親は日本にいないんだよ。同じ職種で共働きで、揃って海外赴任中」
「へぇ。何処に行ってる?」
「パリ」
「花の都?」
「古いこと言うね、斑渕……」
「パリって、ディズニーランドあるんだよね。でっかいの」
 古いと言われて絶句した斑渕に代わって寳河が訊くと、桜凪は目を細めた。
「あるらしいね。もし僕が手術成功したら、親が連れてってくれるって言ってたから」
「いいなぁ。僕も行ってみたい」
 寳河が指を口元に当てて、子供のように言う。斑渕は古いと言われたショックが抜け切らず、拗ねた口調で反対した。
「どうせ海外行くなら、アメリカでユニバーサル行くだろ」
「あれって大阪にあるんでしょ? 日本で行けばいいじゃない」
「ディズニーランドこそ千葉にあるじゃねーか。東京名乗ってる癖に」
「本場はでっかいのっ」
「ならユニバーサルもだっ」
 言い合って、寳河と斑渕は一瞬、睨み合う。桜凪が見守る中、二人は最終的に怒鳴り合った。
「じゃあ両方行こうよ!」
「望むところだ!」
「何の話をしてるのさ……」
 桜凪はまた笑いだしながら口を挟む。寳河が満面の笑顔で彼に宣言する。
「桜凪の手術が終わったら、パリ行こうよ。ディズニーランド」
「ユニバーサルスタジオは?」
「まずパリから」
 寳河は桜凪の顔を見てにこりと笑う。
「手術が終わったら、遠くに出掛けても平気でしょ?」
「……。うん」
 桜凪は笑顔で返して、また空を見上げた。とても青い空だった。
 ……でも夏は遠いのだろうと、桜凪は思った。それまで桜凪の体力は持たない。
 桜凪はまた二人を見た。正面からでは寳河のは見えないが、斑渕の大きな翼は相変わらずきれいだった。桜凪は思わず微笑んだ。
「桜凪?」
 寳河が手を伸ばして、桜凪の熱を測る素振りを見せる。桜凪は目を閉じて寳河の掌が額に当たるのを感じながら、呟くように言う。
「いいね。行きたいね、皆で」
 本当は、桜凪の体力は徐々に衰えていっている。まるで桜に合わせたかのように、彼の体力は春にピークを迎えて夏に向けて衰えていく。芦屋は季節の変化に体の対応が遅れているだけだと言うが、桜凪は何となく確信している。
 桜凪の処に夏は来ない。
 桜凪は目を開けて、窓の向こうの空を見た。やはり青い空だった。
 実際よく今迄生きてこれたと自身で思う。もっとずっと幼いときから終わりを覚悟していたのに、それがなかなか来なかった。それ自体がすでに奇跡の域に達しているとも思ってる。これ以上の奇跡を望むのは、何となく神様に申し訳ないような気もする。
 それでも桜凪はぽつりと本音を言ってしまった。
「旅行してみたかったな」
 つい言ってから、しまったなぁと思ったが、ちょっと思うのが遅かった。後悔先に立たずとはこれかと、まさに今実感した。斑渕はちょっと傷付いたような顔をしていて、特に寳河が泣きそうでいて怒っていると言う珍しい顔になっていた。 
「桜凪……」
「悪い」
 直ぐ様謝ってみたが、寳河は涙か雷かどちらかを確実に落としそうな顔でこちらを見てくる。桜凪は斑渕に救いを求める視線を送りつつ言った。
「違うよ、春のうちにって話……。ほら国内、桜がきれいじゃないか……」
「桜凪」
 寳河は結局泣くことも怒ることもせず、桜凪の名前を呼んで抱き着いてきただけだった。彼は傍にいないと解からないくらい小さく、犬のように寂しそうに鳴く。彼の背中の小さな羽は、犬の耳みたいにしょげ返っている。
 桜凪が困った顔で斑渕を見上げると彼も困った顔で、でも苦笑して桜凪の頭を犬にするように撫でた。桜凪が頭を撫でられて俯くと、床には純白の羽と空色の羽がいっぱい敷き詰めたように積もっていた。
 ……これ以上の奇跡を望むのは、何となく神様に悪いような気がする。
「御免ね。一緒に旅行に行きたいんだけどね」
 桜凪は犬みたいな寳河の背中を撫でながら、斑渕を見上げて二人に囁いた。
「でも、僕はちょっとまだ解からないからさ。旅行のチケット取るのなら、夏が終わるまで待っててくれる?」
 寳河は答えなかった。代わりにぎゅっと抱き着いている手に力を込める。斑渕も答えないで、桜凪に対してただ軽く頷いてみせた。
「ありがと」
 桜凪は嬉しそうに笑う。
「独りで逝くもんだと思ってたんだよ。でもやっぱり連れがいる方が退屈しないよね」
「桜凪……」
 寳河は結局泣いたらしい。目尻を濡らした顔で桜凪から離れて、いやいやと首を振った。純白の羽根がふわりと舞い出す。桜凪ははっとした。
「絶対、皆で行くからね」
 急に桜凪の胸が突かれたように痛んだ。桜凪の処へは夏は来ない。
 寳河の言葉を聞いて、桜凪は何故彼には妖精が見えるのか解かった気がした。純粋だからだと思う。
 桜凪は笑顔がぎこちなくなった。疾患とは違う胸の痛みは不馴れだった。寳河の言葉に対して、桜凪は黙って頷くだけだった。何故か寳河も頷いて押し黙った。
 純白の羽根が一枚、絵本の表紙に優しく載った。桜凪は絵本を手に取った。裏表紙の黄色い華はある程度擬人化されていて、表情がある。華はにこにこと笑っていた。
 これ以上の奇跡を望むのは、神様に悪いような気がする。桜凪が自身で思っていたのよりも、神様はずっと長く桜凪を生かしてくれた。もう終わりが近付いた頃、傍にいてくれる者をくれた。これ以上望むのはわがままだと思う。
けれどこのままでは、桜凪の胸の痛みは取れなかった。
 桜凪は窓の向こうの空に目を向けた。空は凶暴なくらい青かった。
 桜凪は呟いた。
「天国まで透けて見えそうな青い空」
 斑渕も寳河も一緒になって空を見上げた。
「本当だ」
「……奇麗」
 二人の呟きを聞きながら桜凪は空を見上げて目を閉じて、遠い夏を想う。
 斑渕の羽と同じ色の空と、寳河の羽と同じ色の雲と、大量の熱と。
 殉教の黄色い華が咲き誇る。
 その夏より早く、天国は桜凪だけを攫っていく。
 桜凪は目を開けて空の向こうの天国を見詰めた。
「……夏になったら、皆で行こうね」
 桜凪は囁く。斑渕も寳河も黙って聞いていた。
 夏は来ないけれど。
 夏になったら。
 桜凪は夢でも見ているような口調で言葉を紡いだ。


「天国も神様も蹴飛ばしてさ。それよりもっと高い空に昇ってみようよ」





He was raised the skies.




「 天国まで透けて見えそうな青い空 」








" Has it stopped snowing? "





" The snow was malted.
The cherry tree snowed it's blossms."

" Where he is now? "

" He was raised the skies. Look. "


" What divine whether! "





「雪は止んだ?」

「雪は溶けちゃったよ。
桜のはなびらが雪みたいに降ってるんだ」

「彼は何処にいるの?」

「彼は空に昇ったよ。ご覧」



「何て素晴らしい天気だろう」



weathercock weather

天気屋な天気


「空と同じ色の羽」 書架


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