空と同じ色の羽

「桜、降り注ぐ憂鬱の午後」 「天国まで透けて見えそうな青い空」 書架



 斑渕まだらぶちは担当教師の命令により、道に迷って学校に来られないと言う同級生を迎えに行かされていた。
 「道に迷って迎えを頼むなんてガキじゃあるまいし!」と憤り、会ったら相手に文句を言ってやろうと思っていた斑渕だが、やがて辿り着いた待ち合わせの駅前で、彼に出会って思わず叫んでしまった。
「あ、ホンモノっ!」
「あ、こないだの面白い人だあ。君がクラス委員さんだったんだ」
 先日の「気違い雨」だ。「面白いなんてあんたに言われたくねーよ」と思いつつ、斑渕は取り敢えず挨拶した。向こうは「寳河たからがわ淑巳よしみ」と名乗った。奇妙な偶然に軽く溜め息を漏らしながら、斑渕は寳河を連れ、学校目指して歩き出した。
「何で道になんか迷ったんだ? そんな難しい道じゃねぇだろ」
「ううん。すっごい難しいよ。僕、昨日自分の家にも帰れなくなる処だった」
「ニ、三回だけ角曲がれば済むだろ。どう迷ったんだよ」
「よく解んないの。はじめ角を曲がって、もういっこ角を曲がると、最初の道に戻っちゃうんだ。で、ずーっとぐるぐる同じ場所を回ってた」
 斑渕は赤信号の横断歩道で立ち止まり、寳河を見た。
「……よく解んねぇな。人に道訊いたりしなかったのか?」
「訊いたんだけど、くすくす笑うばっかで相手してくんなかった」
「けったいな奴がいるもんだな。どんな奴に訊いたんだ」
「人じゃなくて妖精……。緑色の服着てて、ちいっちゃくて、羽は四枚あったよ」
 寳河に馬鹿されている。そう思い、斑渕は怒鳴りつけてやろうとして彼を見た。……しかし寳河はごく普通の表情をしていた。
「…………」
 斑渕は彼がホンモノだったことを思い出して、怒鳴るのを止めた。どうやらこの少年は本当に妖精に道を訊いたらしい。
「今度からは人間に訊け」
 要領を得ない相手に憮然としてそう言って、斑渕は先に青信号を渡り出した。寳河は何故だか歓声を挙げて、斑渕の背中を叩いた。
「うわあ、やっぱり君のはきれいだねぇー!」
「はぁ?」
 そう返してみたが、寳河はにこりと笑うばかりで答えなかった。何が「やっぱりきれい」なのか解からない。
 やっぱりコイツ本物だ、と斑渕は思った。


 学校には無事に着いた。
 何故だか寳河は斑渕に懐いた。斑渕が何処に行くにもついてきた。斑渕はその理由がよく解からないまま、一日好きにさせておいた。
 寳河は学校が終わっても斑渕にくっついてきた。
「斑渕、何処行くの。帰らないの?」
「俺は図書館に用事があるの。本を運ばないといかんから」
「手伝うよ」
「あんたじゃ無理」
 斑渕は図書館に入って、図書委員を脅かして新刊を全部ふんだくった。全部重たそうなハードカバーだった。見た目からして軟弱そうな寳河には一冊も持てなさそうだった。斑渕はそれらを全部抱えて、図書室を後にした。
「斑渕、本が好きなんだね。家で読むの?」
「俺はマンガ派。すぐそこの病院にいる同級生に持ってくんだよ」
 何故だか寳河もついてくると言った。斑渕は彼の好きにさせた。


 ふたりで辿り着いた先は昨日の病棟である。本を持っていくと、桜凪さくらなぎは戸惑った顔で、しかし顔を僅かに紅潮させて礼を言った。礼を言われた斑渕は目を眇めて「どういたしまして」とだけ答えた。
 初対面だったが、寳河は桜凪によく懐いた。斑渕から見て、彼は何を基準に友人を選んでいるのかよく解からない。
「桜凪は本が好きなの? どんなのが好き?」
「小説かな……。読んでると、いろんな擬似体験が出来るから」
「僕も小説大好きだよ。あ、あとね、絵本とかも案外楽しいの。今度家から持ってくるから、それも読んでよ」
 斑渕はふたりのやりとりを聞きながら、桜凪が昨日より明るい顔をしているのに首を傾げた。本なんて読むと肩が凝るもの、ぐらいにしか思っていない斑渕には、本の差し入れで明るくなったとしか思えない桜凪が不可解だった。
 予想外に仲良くなった寳河と桜凪のコンビが互いの好きな作家の話にヒートアップしてきた頃、問診の医者が現れた。昨日斑渕に声を掛けてきた若医者である。
「おやおや昨日に続き珍しい。お友達が増えてる」
 斑渕は挨拶をしようとしたが、その斑渕より先に寳河が医師に声を掛けた。
「芦屋先生だ! こんにちわっ」
「お、寳河!? 何だ、桜凪の友達だったのか?」
「うん。仲良し」
 面識があるらしい芦屋医師と寳河を見ながら、斑渕と桜凪は顔を見合わせた。寳河は芦屋との話が足りないのか、芦屋が桜凪の問診を終えて廊下に出たのにくっついていってしまった。斑渕が首を捻って「知り合いかな」と呟いた。それをちらりと見上げて、桜凪が教えてやった。
「彼、以前ここに入院してたんじゃないかな……見かけたことがある」
「へえ? 確かにあいつ病弱そうだな」
 興味がないので軽く答えて斑渕は窓の外を眺めた。桜凪は読書に没頭し始めた。


 寳河が病室に戻ると、中には読書中の桜凪しかいなかった。寳河は首を傾げた。
「あれ、斑渕は?」
「あいつならジュースを買いに行ったよ。三人分」
 正確には「買いに行かせた」のであるが、桜凪にその自覚はない。寳河はベッドサイドの椅子に腰を下ろして、ふふと笑った。
「優しいねぇ斑渕は。やっぱり好い人なんだ?」
「…………。そうだな」
 桜凪は読んでいた本を閉じて、表紙を撫でてそう答えた。寳河は微笑んだ。
「今日僕ね、学校に来る途中で道に迷ったんだよ。そしたら斑渕が迎えに来てくれたんだ」
「わざわざ迎えに? あいつ馬鹿だな……。お前も道に迷ったなら、迎えに来て貰わないでも、人に訊けば学校なんてすぐ解かるんじゃないの」
 桜凪がそう言うと、寳河は困ったように笑った。
「僕、人間苦手なんだ。通りすがりの人とか、恐くって」
「へぇ? 僕とか斑渕とは平気で話してるじゃないか」
「うん、それはね。ふたりとも羽がきれいだったから」
「……はね?」
 予想しなかった答えに、桜凪は寳河を見返した。寳河は困ったように笑い続けていた。こめかみを指で擦りながら、寳河は言った。
「あのね、こう言う話を人にするとすぐ笑われちゃうんだけど……。僕、妖精が見えたりするんだよ。ちょっと前からは、人に羽が生えてるのも見えるようになったんだ」
 そこで一旦声を納めて、寳河は桜凪の顏を伺った。桜凪は正直、突然の話に驚いてはいたが、興味があったので笑わないで、話を続けるように彼を見た。すると寳河は安心したような笑顔で話を続けた。
「妖精は小さい頃から見えたんだ。皆も見えてるもんだとずうっと思ってた。でも普通、見えないんだってね? それ知ったとき、ちょっと驚いたよ」
「僕なんて入院生活長いけど、霊体験もしたことないよ……。妖精が実在するなんて知らなかった」
 肩をすくめて、桜凪は寳河を見る。寳河は「やっぱり皆は見えないんだねぇ」と、いやにしみじみと呟いていた。
 桜凪はちょっと笑ってしまってから、ふと気になったことを訊ねた。
「でも……どうして妖精は『小さい頃から』見えてて、羽は『ちょっと前から』見え出したんだ? 何で急に見えるようになったんだよ」
「んーとねぇ……」
 寳河は困った顏で己の髮を掻き混ぜた。桜凪は寳河が言いあぐねている訳が解からなかったが、答えたくなさそうならばと、質問を変えた。
「その羽って、どんな風に見えるんだ?」
 今度は寳河もさらりと答えた。
「天使の羽みたいな奴。皆持ってるんだよ。人それぞれ違う羽でね、その羽がきれいな人って、結構好い人多いんだ。君と斑渕はすごくきれいなんだ」
「羽に美醜があるのか?」
「あるある。大きさも色も、人によってぜんぜん違うしね」
 ふぅんと呟いて、桜凪は少し考えた。それからニヤリと笑って、寳河に囁いた
「ね、それってあの不良医者……芦屋にもある?」
「うん。あるよ。芦屋先生のは白くてきれいなんだけど……片方、怪我してる」
「白ぉ? 黒くないのか。なぁんだ」
 つまらなさそうに唇を尖らして、桜凪は笑い顔を納めた。寳河の返事が期待していた答えと違ったようだ。やがて桜凪は片眉を引き上げた。
「けど、怪我した羽って、何で? 意味があるのかな」
「どうなんだろうねぇ」
 その時、ばたん、と大きな音がして、桜凪の枕元にあった読みかけの本が自然と床に落ちた。寳河が床に屈み込んで本を拾った。本を片手で持とうとしたが無理で、寳河は両手でそれをしっかりと持った。
「っと……重いよね、ハードカバーって……。はい」
 立ち上がって、桜凪に本を渡そうとする。だが桜凪は受け取らず、手を伸ばして枕元を指して、寳河に頼んだ。
「ここに置いてくれる? 手に持って読むと疲れるんだ」
「あー。重い本って膝に置くと、足に血が通わなくなるよねぇ」
寳河が腕を伸ばして本を置いた。それを見ていた桜凪は思わず「あ」と呟いた。
「……ありがとう」
 桜凪は置いて貰った本を捲りながら、素っ気無くそれだけ言った。だが寳河は本を持っていた方の手首を、反対の手で撫でながらくすりと笑った。
「……ばれちゃったね」
 桜凪は無言でやり過ごせなかったのがきまり悪くて、唇を歪める。寳河は椅子に戻って、頭を下げ「ごめん」と謝った。桜凪は驚いて開いていた本を閉じた。
「何でお前が謝るんだ」
 桜凪は寳河を見た。寳河は不思議そうな顏をしていた。桜凪は弁解する。
「無視して悪かったな。そう言う疵のある人って病院には多いんだ。皆質問されたりするの嫌いだから、何も言わなかっただけだよ。気なんて悪くしてないよ」
 桜凪が言い終わると、寳河は嬉しそうににこりと笑った。
「良かった……これ人に見せると、皆困った顏するから見せないようにしてたんだ。ありがとう」
 寳河はニコニコと笑っていた。彼はまだ己の手首を持っていた。
「あのね、先言いそびれたけど、僕が羽を見えるようになったのって、この怪我してからなんだ。半年くらい前かな。最近じゃ、怪我が治ってきた所為で、羽が見えにくくなってきてるみたい……。毎日視力が変わるんだ。今日は調子が良いからはっきり見えるけど、日によっては全く見えない」
「……どうして怪我の所為なんだろうな」
 怪我の経緯には興味を持たない。持っても、訊かない。桜凪はただ、羽の見える仕組みが気になった。どう言う仕組みになっているのか解からず、桜凪は眉根を寄せた。
 寳河はすぐに持論を披露してくれた。
「多分ね、羽が見えるようになったってことは、きっと僕が天国に近付きかけてたってことなんだと思うんだ。怪我の所為で死にかけて、この病院に運ばれてたくらいなんだ。だから天の使いの羽が、身近に見えてたんだよ」
 あのときの僕って、すごく危ない状態だったんだよねぇ、と語りながら爽快に笑う寳河に、桜凪は苦笑するしかない。桜凪は寳河のことを、すごい危ないことをさらっと言う奴だなあ、と思った。


 斑渕が帰ってきた。彼は両手にそれぞれ袋を持っていた。その片方を掲げて、大きな声で「腹減ってる奴」と訊ねてきた。寳河が元気よく手を挙げると、斑渕は彼目掛けて袋を放り投げた。
 寳河が歓声を挙げた。中には大量のパンが詰まっていた。斑渕は手元に残った袋からジュースの紙パックと、ストローを三本出した。そして紙パックの底を桜凪の額にこつんと当てた。
「ほら、わがまま患者。御所望のジュースだ。ストローも付けてやるぞ。ピンクと黄色と青と、どの色がお望みでございますか」
 桜凪は冷たい紙パックを避けながら、斑渕に「青」と答えた。すでにかにぱんを食べ始めていた寳河も斑渕の横に立って、注文した。
「僕、黄色がいい」
「……俺がピンクかい」
 嫌そうな顔をしつつ、寳河に黄色いストローを与えて、桜凪の分の紙パックに青いストローを差した。それを桜凪のベッドサイドの机に置く。桜凪は短く礼を言ってパックを引き寄せようとした。だが、手を伸ばしたまま、桜凪は部屋中が歪むのを見た。水音。
(目眩だ)
 部屋が歪んだのではなくて、自分の脳内が歪んだのだと気が付くのに、たっぷりひと呼吸分の間を要した。これは、体調不良がいつ迄経っても直らない所為で起こる目眩だった。桜凪の視界は歪んだ後、しばしの間、白濁していた。
「おい! どうした、気分悪いのか?」
 桜凪の視界が正常に戻った時、桜凪は前のめりにつんのめっていた。ベッドから落ちそうになっていた上半身を、斑渕が支えていた。すぐ目の前には、心配そうな顔をした寳河がいた。桜凪は再び目眩を起こさないようにゆっくりと身を起こしながら、ふたりの顔を交互に見た。
「大丈夫……悪い。驚かせた。よくやる目眩だから、平気だよ」
 斑渕は真剣な表情で桜凪を見た。
「医者は呼ばなくていいんだな?」
「ん。平気平気……。ジュースは?」
 ジュースは、桜凪が目眩を起こしたときに触れて床に落としてしまっていた。寳河がパックを拾い上げて「捨ててくるよ」と一言、部屋を出ていった。パックが落ちていた床にはジュースが零れていて、汚れていた。斑渕は部屋を見回した。
「ここ、雑巾とかってどこにあるんだ?」
「その角のとこに置いてある」
「借りるぞ」
 桜凪が指差した方向へ、斑渕はくるりと体を向けた。その背を見て、桜凪は戸惑った。斑渕の背中から、大きい羽が生えていた。
「……え」
 青い、空と同じ色をした羽だった。羽の主は、くるりと桜凪の方を向いた。
「どうかしたか?」
振り返って斑渕は、桜凪が驚愕した顔なのを見て、怪訝そうに片目を眇めた。
「……なんでも、ない」
 ぎこちなく喋って、桜凪は首を振った。斑渕は怪訝そうにしたまま、床に屈み込んで、床を拭き始めた。桜凪は羽を見た衝撃で動悸のする胸を押さえながら、床に屈んでいる斑渕の背をベッドの上から覗き込んだ。だが、そこに羽は無かった。
「あれ?」
「何だよ。先からおかしいぞあんた」
 うっかり声を出してしまい、斑渕に顔を上げられて、桜凪は慌ててベッドの中に引っ込んだ。斑渕は首を傾げつつ、また掃除を始めた。
(……何だ、先のは見間違いだったのかな?)
 やはり先見た羽が気になる。桜凪は毛布を頭まで被った状態で、もう一度斑渕の背中を覗こうとした。だがそれより一瞬早く、床を拭き終えた斑渕が立ち上がってしまった。桜凪は失望の溜め息と共に羽の確認をあきらめた。
「……溜め息ついてるけど、大丈夫か? 医者呼ばなくて本当にいいか?」
 桜凪の溜め息の原因を誤解した斑渕が、また真剣な顔で桜凪の顔を覗き込んできた。桜凪は慌てて頭を振った。
「大丈夫だって」
「本当か? 雑巾洗ってる間に打っ倒れるなよ。ちゃんと横になってろよ」
 斑渕は桜凪にびしっと指を突き付けてそう忠告すると、足早に外へ出ていった。部屋から出ていく彼の背中には、やはり羽はなかった。桜凪は首を傾げつつ彼を見送った。
(何で先は見えたんだろ。寳河の言葉で、暗示にかかってたかな)
 忠告通り横になろうと枕を整え考えていて、桜凪は途中で手の動きを止めた。
(待てよ。寳河は先、斑渕の羽が青いだなんて言わなかったぞ……)
記憶を反芻してその時の寳河の言葉を思い出した桜凪は、己の背筋が冷えるのを感じた。そこへ、当の寳河がひょっこりと戻ってきた。
「ただいま。あれ、斑渕は?」
 軽く手を振って見せる寳河の手首には、疵跡があった。桜凪は顔を歪めた。

『多分ね、羽が見えるようになったってことは、きっと僕が天国に近付きかけてたってことなんだと思うんだ。怪我の所為で死にかけて、だから天の使いの羽が、身近に見えてたんだよ』


(死 に  かけ  て?)



 再びぐらり、と視界が歪んで、桜凪はベッドの上に突っ伏した。寳河は驚愕して桜凪の傍へ駆けてきた。
「桜凪、大丈夫!?」
「おい、何かあったのか?」
 廊下から人が入ってくる音がして、桜凪は僅かに顔を挙げた。桜凪はその歪む視界で、現れた斑渕を捉えた。
 彼の背中から、正面からはっきりと解るくらい大きな空色の羽が伸びていた。
 桜凪はぐうと呻いて目を閉じた。
 


 
……Where he is now?

「桜、降り注ぐ憂鬱の午後」 「天国まで透けて見えそうな青い空」 書架


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