桜、降り注ぐ憂鬱の午後

「気違い雨」 「空と同じ色」 書架



 

斑渕まだらぶちは下校の際に、いつもと違う道を通っていた。その道は面倒だったが、しかし普段は見ることのない桜並木を見ることが出来たので、退屈はしなかった。
 斑渕は、花が散っていく様を見るのが好きだった。小さい花が大量に散っていく様、例えば桜のそれは見ていて心地良いと思う。儚い癖にやたらと潔く、木に別れを告げて地に墜ちる。その潔さは格好良いと思う。桜のはなびらの最後の一枚が散るその瞬間を、見届けてみたいと思う時もある。ただ、まだ一度もそれを実行したことはない。彼の飽きやすい性格が、どうにもそれを阻んでいる。
 桜並木を抜け出た先は、病院だった。斑渕は帰りがけに教師に言われた病室に向かった。目的の部屋の入り口には「桜凪さくらなぎ秀一」と書かれたプレートがあった。
中へ入ろうとした時に、廊下の向こうから現れた若い医者に声を掛けられた。
「おや珍しい……桜凪くんにお見舞いかな?」


 医者との短い立ち話の後、斑渕はようやく病室に入った。中に居たのは、斑渕と同い年とはとても思えない、痩せこけた小柄な少年だった。彼は痩せている所為で目が異常に大きく見えていた。彼は斑渕の姿を認めて、ベッドの上からか細い声で、斑渕が何者か訊ねてきた。斑渕は平素と変わらぬ無愛想で答えた。
「今日からあんたの同級生になった斑渕創史だ。ついでにクラスの代議員も務めさせられる羽目になった。あんたに学校のプリントを届けにきたんだよ」
 斑渕は彼に束になったプリントを渡した。彼は右手で受け取った。斑渕は相手がプリント受け取ったのを確認してから手を離したのに、プリントは桜凪の手からするりと抜け落ちて、床に散った。それを斑渕が拾い集めてまた渡すと、またプリントは床に散った。斑渕はもう一度プリントを集めながら、桜凪の右手をちらりと盗み見た。桜凪は己の右手を左手で撫でながら、悔しそうな顔をしていた。桜凪の手は皮と骨だけで、肉など欠片もなさそうな病的で弱々しいものだった。
「ここに置いとくぜ」
 斑渕はプリントを桜凪の枕元に置いた。桜凪は悔しそうな顔のまま、暗い目付きになって頷いた。無言だった。斑渕も何も言うことは無かった。用は済んだのだし、帰ろうと思った。短く挨拶をして踵を返した。背後の桜凪がプリントを読み出したらしい気配があった。病室から出ようとしたら、桜凪に呼び止められた。 
「待った代議員。頼みがある」
 振り返ると、桜凪が枕元に置いたままのプリントを真剣に見詰めているのが見えた。それほど興味深い記事なんぞあったろうかと、斑渕は首を捻った。
「何だ?」
「また来てくれないか。学校の図書館の本が読みたいんだ。代わりに借りてきて、持ってきて欲しい」
 斑渕がベッドの傍まで戻って見ると、桜凪が読んでいたのは図書室の新刊案内のプリントだった。彼はその中の数冊が読みたいと言い出した。
「あんた本好きなのか?」
「うん。頼みを聞いて貰えるかな」
 桜凪が斑渕を見上げた。斑渕はその顔をちらりと見て、驚かされた。たかが本の話だと言うのに、鬼気迫る表情だった。斑渕は迫力に圧倒されながらごくりと息を飲み下し、それから桜凪の真白い手を見た。それはプリントも持てない、か弱い手だった。斑渕は先の医者の話を思い出した。斑渕は桜凪に頷いてみせた。
「いいよ。また明日来る」
 桜凪は心底安心したような顔で「ありがとう」と言った。その後は本当に何も話すことが無かった。
 斑渕は帰りも病院の桜並木を通って帰った。斑渕が木の間を歩いていると花嵐が起こって、桜のはなびらが吹雪いた。綺麗だった。はなびらを追って視線をさ迷わせていたら、視界の隅に病院の窓からこちらを見ていた桜凪が現れた。斑渕は目を眇めて彼を見た。遠目に見ると、彼はますます肌の色が白くて、死化粧を施された死人のようだった。


 斑渕を見送りながら、病室にいた桜凪は、問診に来た若医者に訊ねた。
「あいつに僕のこと言ったの?」
「言ったよ。友達なんだから、そう言うことは教えてやった方がいいだろ」
「友達じゃないよ。クラスの代議員だよ、この不良医者……。僕のことは僕に断ってから言えってば。患者のプライバシーについて考えたことってあるの?」
「無いね。俺が考えるのは患者の健康のことだけ。死んだら恥も外聞も関係なくなるだろ。ま、お友達ならまた来てくれるから、次は自分で言えばいいだろ」
「……年中、恥も外聞もない貴方は、それじゃあ死んでるのも同然だね」
「おお、減らず口。いいよ、せいぜい手術の時までその元気を保ってろ」
 医者は笑って退出した。桜凪は不快そうに鼻を鳴らした。外を歩いていた斑渕は、桜凪の方をじいっと見上げていた。彼は憂鬱そうな顔をしていた。
「こんな死人の匂いの染み付いた部屋に、のこのこやってくる奴があるもんか」
 桜凪は誰もいない部屋で毒突いて、空を睨んだ。青い空だった。


 斑渕は桜凪が斑渕から視線を反らしたのを契機に、病棟に背を向けて歩き出した。歩きながら、しばらく考えていた。
 斑渕は花が散っていく様を見るのが好きだ。儚い癖にやたらと潔く、木に別れを告げて地に墜ちる。その潔さは格好良いと思う。斑渕は、桜のはなびらの最後の一枚が散るその瞬間を、見届けてみたいと思う。
 斑渕は病院の敷地から外へ出る寸前に、もう一度だけ、病棟を仰いだ。憂鬱そうな桜凪の顔が遠目に見えた。斑渕は先の医者の言葉を思い出した。


 桜凪を見上げて、明日もここへ来てみようと決めて、斑渕は病院を後にした。



The cherry tree snowed it's blossoms.


「気違い雨」 「空と同じ色」 書架


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